青野太潮[著]どう読むか、聖書の「難解な箇所」「聖書の真実」 を探究する
青野太潮[著]どう読むか、聖書の「難解な箇所」「聖書の真実」 を探究する
新書判・288 頁・本体1,200 円+ 税
ISBN978-4-909871-79-4 C0216
書 評
電子書籍
「大いに疑問を持つ」探求者に、 聖書は真実の姿を明かし始める。
訳語、解釈の如何によって天地が入れ替わるほど真逆の結論に導かれてしまう。互いに矛盾し合う場面に満ちてもいる。この難解な聖書とどう向き合えばよいのか。これを正典として信仰を培うとはいかなることか。新約聖書学者がその「難解な箇所」を敢えて取り上げ、正面から挑んだ!
『どう読むか、 新約聖書 福音の中心を求めて』に続く、 青野太潮のヨベル新書、好評第2弾
主な目次
Ⅰ部 どう読むか、聖書の「難解な箇所」―「 聖書の真実」を探究する
1 なぜペトロは悲しくなったのか(ヨハネによる福音書21 章17 節)
2 「インマヌエル」の神(マタイによる福音書10 章29 節、第一コリント10 章13 節)
3 「すべてのことが許されている」は、他人の言葉の引用?それとも、パウロの本心?( 第一コリント6章12― 20節)
4 「弱くはなくて、強い」?それとも、「弱いからこそ、強い」?(第二コリント12章7 ― 10 節、13 章3 ― 4節)
5 「弱さのゆえに十字架に」? (第二コリント13 章4節)
6 「教会はキリストの体」?それとも、「キリストは教会の頭かしら」?(第一コリント12章23節/コロサイ1 章18節)
7 主の晩餐の順序は、「杯→パン→食事→杯」? それとも、「パン→杯」? それとも、「パン→食事→杯」?( 第一コリント12章23節/コロサイ1章18節)
8 「主の晩餐」とは何だったのか ― 前回における考察を受けて
9 「婦人たちは恐ろしかったので黙っていたのか? それとも、「恐ろしかったけれども、喜んで伝えたのか?」(マルコ16章8 節/マタイ28章8節)
10 「十字架につけられたままのイエス・キリスト」、ほか
Ⅱ部 第一コリント書研究 パウロから読み解く「十字架につけられ給ひしままなるキリスト」
1 パウロはなぜ冒頭で「分争」に言及するのか
2 「分争」の問題から「十字架の言葉」についての議論へ
3 十字架につけられ給ひしままなるキリスト
4 イエスの「十字架」と「死」の区別
5 神の召しのもつ逆説的性格
6 私もまたイエスのように
7 弱さのゆえに十字架につけられたキリスト
8 ともに十字架につけられてしまっている私たち
9 パウロにおけるイエスの言葉と振舞の反映、ほか
著者紹介
青野太潮(あおの・たしお)
1942 年静岡県生まれ。国際基督教大学、東京大学大学院を経て、スイス・チューリッヒ大学神学部博士課程修了。神学博士号(Dr.theol.)取得。現在―西南学院大学名誉教授、平尾バプテスト教会協力牧師、日本新約学会前会長(2009 年―2017年)。
専攻:新約聖書学、最初期キリスト教史。
著書:『「十字架の神学」の成立』(ヨルダン社/新教出版社)、『「十字架の神学」の展開』『「十字架の神学」をめぐって』『最初期キリスト教思想の軌跡』(ともに新教出版社)、『パウロ書簡』『聖書を読む 新約篇』,『パウロ 十字架の使徒』(ともに岩波書店)、『十字架につけられ給ひしままなるキリスト』(コイノニア社/新教出版社)、『どう読むか、新約聖書』(ヨベル)その他、共著、訳書、多数。