ヨベル発行の書籍が紹介されました。
広瀬由佳 [著]神のいのちの物語が南野浩則氏(日本メノナイトブレザレン教団福音聖書神学校教務)がFacebookで紹介くださいました。とても内容を摑んだ紹介記事です。どうぞお読みください。
広瀬由佳さんの新著『神のいのちの物語』を読みましたので、その感想を書いてみたいと思います。
まず、書名がこのテクストの内容のすべてを物語っているように思えます。著者にとって、神もいのちも物語も大切であり、また最も関心のある事柄であり、それらを駆使して自らの考え方を述べておられます。それは非常に説得力のあるものです。
全体を通じて、著者にはスタートラインとなる「違和感」があるように感じました。その違和感は、この世界に対してであり、教会に対してであり、ご自身に対してであるようです。多くの場合、違和感はそのまま放置されることが多いように思います。それは追求するエネルギーも時間もない場合がありますが、違和感が「感」にとどまって言語化されない(概念化されない)ことが原因であることも多々あります。しかし、著者はその違和感に誠実に向き合い、言語化し、「気づき」にいたっていきます。そこには著者自身の多くの深い思索があったと想像しますが、同時に著者と出会った人々との交流が背景にあったことでしょう。それは、本書の中で繰り返し証言されています。読者が著者の違和感に気づき、その問い(答えではなく)に共振できれば、読者にとって本書の内容は理解しやすいものとなると思います。
著者の違和感はこのテクストでは2つの方向へと展開していきます。前半は、自らを受け入れられない著者が、人々との交流の中で、神によって愛されていることを自覚していく冒険の物語であり、そこから神に信頼する者としてこの世界へと押し出されていく物語です。著者も語るように、それは救済の物語と言えるでしょう。著者の神との出会いについて、あるキリスト者にとればそれこそ「違和感」があるかもしれません。そうであっても、この物語は読者に安心と共感をもたらすと思います。神はいのちを私たちにもたらしてくださり、私たちは平和によって生きていくことができるのです。
テクストのもう1つの展開は後半に訪れます。それは、著者の専門である倫理について書かれているところです。前半とは少し異なる筆致であり、私たち読者を宙づりにしていきます。倫理として取り上げられている具体的な課題は、人工妊娠中絶、差別、戦争、死の自己決定権、霊的虐待ですが、いずれも教会もこの世界も最終的な回答を持ち合わせておらず、論争が続いています。著者自身はそれぞれに意見を持っておられますが、それを一方的に押し付けることはせず(ときに著者は沈黙を選択します)に、さまざまな角度から問題提起を試み、読者に考えることを迫ります。すぐに私たちは回答を欲しがりますが、このテクストではそれは与えられません。それがこのテクストの目的ではないと思われるからです。そのような意味で、読者は宙づりにされるのです。著者は倫理の冒険を続けていきます。同時に、読者は同じ冒険へと招かれます。もちろん、この冒険を選ばない読者もおられるでしょう。この冒険を進むにしても、テクストとは違った道を進む読者もいるでしょう。いずれにせよ、テクストは読者に考えることを求めます。
どのようなテクストも世界に開かれていますが、このテクストも現実へと私たちを開いていきます。実はこの「開く」ということは、多くの人々にとって勇気が求められることです。先が確定せず、見えないからです。しかし、私たちは勇気をもって著者が語る救済と倫理の冒険に挑み続けることを神から期待されていると思います。このテクストはその一助になるはずです。
広瀬さんの秀逸なことば選びも期待してみてください。

