ヨベル発行の書籍が紹介されました。
広瀬由佳 [著]神のいのちの物語 が久保木聡牧師(日本ナザレン教団大阪桃谷教会)がFacebookで紹介くださいました。とても内容を摑んだ紹介記事です。
どうぞお読みください。
「なるほど!いのちと痛みの視点から聖書を読み直すとこうなるのか!」
それが本書を読んで強烈に教えられたことです。「聖」や「罪」というある意味、クリスチャンにとって聴きなれた言葉も再定義していきますが、その洞察の細やかさに驚かされ、ストンと腑に落ちるのです。
ともすると、わたしたちは教会でこんな言葉を聞いてきたのかもしれません。
「痛い? そんなこと言ってもねぇ~。みんな我慢してやってるんだから、わがまま言わずやりなさい」
「痛い? つべこべ言わず聖書の書いている通りにやりなさい。イエスさまもどんなに痛くても従い通したのだから」
そんな声を聴きながら、自分の痛みに無頓着になっていったのかもしれません。自分の痛みに無頓着になるからこそ、他人の痛みにも無頓着になり、気がつかない中、相手を傷つけてしまっているかもしれません。それでも「自分は正しい、聖書的だ」と言い聞かせながら、信仰生活のいのちが枯渇していることがあります。
もしかしたら、わたしたちは、職場や教会といった様々な共同体に留まり、サバイブするため、いのちと痛みに対し、無自覚に鈍感になることを選び取っているのかもしれません。しかし、本書は、いのちと痛みへの感度を上げながら聖書全体を読み直します。いのちを生かす「聖」を示し、いのちを阻害する「罪」を描きます。それはある意味、耳が痛いことかもしれませんが、実はいきいきとしたいのちを取り戻すための大事なプロセスを提示しています。
いのちが大切にされ、痛みに耳を傾けるよう、著者がわたしたちを信仰による冒険へと招きます。とはいえ、著者は決して大上段に構えて真理を提示しようとはしません。いのちが痛む現実において、著者自身の失敗を赤裸々に語りながら、決して驕ることなくいのちと痛みに真摯に向き合おうとする姿勢に腰を抜かすかと思うほど驚かされ、襟を正される思いになりました。
残念ながらキリスト教界では、聖書に従う思いで、戦争が肯定され、差別が続けられることがあります。著者はその現実に対し、痛みに向き合い、いのちが大切にされる道を求め続けます。それは、旧約聖書で為政者に対し、民のいのちを大切にしていないことを告発する預言者の声のようです。ただそれは単なる批判の声でなく、実に温かみのある声のように思います。わからないことはわからないと言える誠実さがむしろ、目の前のいのちを大切にしようとする姿勢として響いてきます。
本書の読後感はとても不思議なものでした。わたし自身、今まで繰り返し読んできた聖書について書いている本なのに、いのちへの誠実さと温かさがさわやかに残るのです。神さまがどれだけいのちを大切に思っているか。神の愛のまなざしにまた新たに目が開かれたことに感謝しています。


