書評:ヴィンセンテ・アリバス(西宮・聖ドミニコ会修道院・神父)

人格的関わりの視点を与えて新しい表現をて提示!

0425_01ザ・ユーカリスト  トリエント公会議以降の新たな出発
E・スヒレベークス  時任美万子訳

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書評 ヴィンセンテ・アリバス Vicente A.Montes  
(西宮・聖ドミニコ会修道院・神父)

この本の原本は、1968年に英語の版がイギリスのロンドンで出版された。教会を現代化するために教理などを刷新することを目的として開催された第2バチカン公会議の余韻がある中で、この著書は著されたものである。

 刷新という中で取り扱われているのは、福音のメッセージを現代人にとって新鮮なものになるようにということであった。この著書の題名、ユーカリスト(THE EUCHARIST)、 つまり、ご聖体は、キリスト教の信仰の中心である。キリスト者の中でキリストの最高の生活である。ご聖体のテーマは、幅広いもので、典礼と秘跡の文脈の中で行われ、また聖書学、歴史的背景のある教会の教義といったさまざまな文脈の中で、ご聖体を160ページ(原著)という短さの中で取り扱うことは非常に難しい。スヒレベークスもそれを意識しながら ご聖体の基本的テーマである実体変化(transubstantiatio)、キリストの現臨だけを取り 扱っている。

 スヒレベークスの神学は解釈を受け入れている。解釈学では、教義用語という神のメッセージの本質的意味(神秘)を変えることなく、その時代の人たちが経験できる文脈の中で解釈できる用語へ転換すること、によって定式化されている教理を解釈し直すことが求められる。神秘は、純粋な形で得られるものではなく、教会のことは(その時代の歴史的知的概念)を通して表される。したがって、同じ言葉を繰り返すことは十分ではなく、神のメッセージが信者にアクセスされるような相応しい言葉は望ましい。

 神秘に対する人間のまともな態度は礼拝することである。それは、頭を垂れ、沈黙することだけではなく、神秘自体に駆り立てられて、神の啓示の意味を理解することに信者は 努めるべきである。まさにキリスト教の伝統的なノルマ:「信じるがために理解する、理 解するために信じる」。

 第二次世界大戦後、カトリック圈でもプロテスタント圈でも、秘跡について新しい概念化、特にご聖体についての書物が数多く、Leenhardt, Thurian, Schillebeeckx. J. de Baciocchiなどによって著された。彼らの目的もスヒレベークス同様、秘跡の再解釈であ った。

スヒレベークスの著書はたった2章で構成されている。第1章は、トレント公会議のご聖体についてのカノンについて、第2章では、現代人のためのあたらしい解釈について述べている。

スヒレベークスは、トレント公会議のカノンを詳細に分析する。ユーカリストの中心的言葉である「パンとワインはキリストの身体と血」に変わるという神秘を表すとき、リアリティを考えなければならない。当時のリアリティの解釈には、やはりアリストテレスの 自然哲学の実体と偶有性の概念があった。実体変化(Transubstantiatio)という定式は相応しいことばであったが、現在の思想、また現代の物理学では認められていない。スヒレベークスは、トレント公会議での範階(自然哲学からの解釈)を現代の知的歴史的環境に適応する。それは、lnterpersonal人格的関わりの視点を与えて新しい表現を考えており、 その意味するところは大きく、この点において彼の業績は何物にもかえがたい。

斎藤(時任)美万子氏が、今回翻訳されたスヒレベークスの著書は、最初に述べたとおり、1968年と今から約半世紀前に書かれた著書であり、翻訳書をご覧になれば、おわかりのようにかなり難解な内容となっている。神秘の内容を現代の人格、人間関係を含めた視点から解釈を行うことは意義のあることと考える。じっくりと味わい、考えていただければと幸いである。