大和昌平[著]牧師の読み解く般若心経

20200518_01
大和昌平[著] 牧師の読み解く般若心経

新書判・312 頁・本体 1,100 円 + 税
ISBN978-4-909871-17-6 C0216

書 評

 

 

 


般若心経は日本人のこころをとらえてきた。
評者:島田裕巳(宗教学者、作家)

仏典の数は膨大で、量が多いものが少なくない。そのなかで、般若心経は異色の仏典でもある。なにしろ262文字しかないからだ。しかも、一般の仏典は、「如是我聞(私は釈迦の説法を次のようい聞いた)」ではじまるが、般若心経にはそれがない。

般若心経のなかに出てくる「色即是空 空即是色」の文句は人口に膾炙している。多くの人は、般若心経と聞いて、これを思い浮かべる。あらゆるものは空である。そこにこそ仏教の本質があると、日本人は考えてきた。

その般若心経をキリスト教プロテスタントの牧師が「読み解く」というのは非常に興味深い試みである。しかも著者は、牧師になると同時に、佛教大学の仏教学科で仏教を学んでいる。生半可な態度で般若心経と相対しているわけではないのである。

著者は、牧師として仏典を解読していく試みについて、「私はキリスト教の牧師としての確信は決して譲ることなく、般若心経の本文を尊敬をこめて読み解いてきた」と述べている。

キリスト教の教えと仏教の教えは根本的に異なるものであり、両者は対立する。はっきりしているのは、キリスト教徒でありながら、仏教徒にはなれないことである。

では、著者はどのような姿勢で臨んでいるのだろうか。また、なぜ牧師でありながら、仏教を学び、般若心経を読み解いていく必要があるのだろうか。
おそらくそこには、日本という社会においてキリスト教の占める位置が関係しているであろう。日本はキリスト教国ではない。キリスト教が取り入れられて500年近くの歳月が流れたものの、信者の数は決して多くはない。人口の1パーセント程度にとどまっている。
一方、同じ外来の宗教である仏教は、日本での歴史はキリスト教より1000年長いという点はあるものの、すっかり社会に定着している。どうしてそこに差が生まれたのか。それを理解できなければ、牧師として日本人に福音を伝えることは難しい。

それだけではない。著者は、土着の神道とともに仏教が根づいた日本の社会に生まれ、そこで生きてきた以上、直接間接に仏教の影響を受けている。それは、こころのありように多大な影響を与えてきたであろう。

そうしたこころを持ちながら、キリスト教を受け入れるとはいかなることなのか。また、本当にそれは可能なことなのか。著者が神学校の卒論で、「聖書における心の概念」というテーマを選んだ背景には、そうしたことがあるはずだ。

日本人のこころについて考えるには、こころのあり方を問題にする般若心経ほど格好のテキストはない。
しかし、神という究極の有から出発するキリスト教と、すべてを空としてとらえるこころから出発する仏教とは根本的に対立する。その対立をどう止揚していくのか。本書は、その難問に対する著者の格闘の軌跡であるとも言える。

そこから見えてくるのは、一方では同じ宗教としてのキリスト教と仏教との共通性である。しかし同時に、もう一方では、両者の根本的な異質性が浮かび上がってくる。
その異質性をいかに乗り越えるのか。著者が空を説く般若心経を読み解いてたどり着いたのは、パウロのこころのありようだった。パウロはキリストと出会うことで、信仰の本質を知り、自己という枠を乗り越えていく道を見出した。それこそが空ではないか。著者は、そう語りかけているように思える。

20200518_01_02著者プロフィール

東京基督神学校、佛教大学大学院博士課程満期退学(仏教学研究科、文学修士)。日本印度学仏教学会員、日本思想史学会員、比較思想学会員、他。福音交友会・京都聖書教会牧師を 25年間務め、2009 年より福音交友会派遣教師として現職。

主な著訳書 : 新書判 『 牧師の読みとく般若心経 』(ヨベル、2015) 、『追憶と名言によるキリスト教入門 』(ヨベル、2012)、『牧師の読みとく般若心経』(ヨベル、2010)、『牧師が読みとく般若心経の謎』(実業之日本社、2007)、ヒュー・ケンプ著『世界の宗 教ガイドブック』監訳(いのちのことば社、2015)


主な目次
第一章 日本人はなぜ、「般若心経」を愛するのか?
第二章 キリスト教の「救い」と仏教の「覚り」
第三章 「智慧の完成」で、人は別人のように変わる
第四章 玄奘は「観自在菩薩」を、どうしても登場させたかった
第五章 「五蘊皆空」に迷う心
第六章 欲得を捨てて「諸法空相」の世界へ
第七章「縁起菩提」は救済と覚りへの道
第八章 掲帝掲帝の「マントラ」に込められた智慧
終 章 智慧の完成は修行であり、修行こそが完成である

【ゴータマ・ブッダのことば】
清らかな心に、幸せはついてくる
常に一番難しいことに挑め 「悪」の一滴は、いつか水瓶を満たす
自分を制する人が、本当の教師だ
他人の過失より、自分の過失を見よ

コラム】
玄奘は、仏典の開拓者
映画「十戒」のあらすじ
ゴータマの生涯と伝道に関する主要地
観音菩薩には、「慈母」のイメージが強い
「観音信仰」は日本人の根底にある 「上座部仏教」の糞掃衣
仏教の基本を作った人たち