2020年6月12日号 「週刊読書人」並木浩一先生 評(国際基督教大学名誉教授・旧約聖書学)

20200306日本的心性の深みを突く意識
〜信頼すべき日本文化論のレビューと独自の知見

並木 浩一

これまで夥しい数の日本論が出版されてきたが、日本的心性の深みを突くとともに、総合的に文化の特色を論ずる努力が払われたと言えるのか。日本文化の核心に迫る努力は依然求められている。本書はそれを意識して「納得のいく議論」の展開を心がける。西谷は昨年に青山学院大学国際マネジメント研究科の教授を定年退職した現代神学と社会倫理の学徒である。その視野は広く、着眼は鋭い。本書の内容は外国人学生を交えたセミナーでの長年の検討を経ている。西谷は米国での英文による日本論の刊行により、すでにその名が国際的に知られている。

神学は普遍的な「人間本性」を見据え、人々の「究極的関心事」を「宗教」と見なし、文化と宗教との内的な関係を重する。その観点から著者が普遍性を備えた日本論構築への寄与を認めるのは、山本七平の「日本教」概念である。山本は『日本人とユダヤ人』(一九七〇年)でこのメタ宗教概念を提示し、その後に掘り下げた。日本人はすべてにおいて人間味を求め、「法」に対し「法外の法」を要求し、人間学が思想や宗教をも支配する。その影響を免れないキリスト者は「日本教徒キリスト派」で、マルクス主義者は「日本教徒マルクス派」である。日本人は施恩には報恩を予想し、行動は「人間相互二人称関係論、河合隼雄による日本人の「母性性」の優位の指摘であり、それを先取りするかのように精神科医の古澤平作が提出し、小此木啓吾と北山修が完成した「阿闍世コンプレックス論」である。すでに古澤は父子の罪の因果の物語を日本的な風土に合う念とその拡張理解の寄与も大きかった。

西谷はこれらの理論の原基に「母子の情愛」の日本的な情緒を据え、その役割を積極的に論ずる。母子の間には無制約の施恩と報恩が行われるが、他人どうしでは恩は合理的な貸借関係として働く。この認識は、日本債務論」に制約されている。そのほか西谷が日本人論への寄与と見なすのは、森有正の親近者間の「母子物語」に改作していた。古澤から独立した土居健郎が唱道した、乳児が自己と別存在者である母を求める「甘え」概「日本教」の極点における脳死臓器移植の著しい消極性と、生体肝移植に対する積極的な姿勢が示す差異を説明する。後者では血縁間での恩の受贈のバランスに悩まないが、脳死臓器移植の受け手は他者の「施恩」に対する「報恩」の不可能に当惑し、負い目を懐き、他人の臓器を当てにするのは「生への妄執」では、との疑問の声も外では上がる。西谷は臓器移植に対する言説を調査し、血縁関係の有無が「恩」についての違った意識をもたらすことに気づき、そのことから二種の移植に対する反応の違いを説明した。これを論じた第3章は迫力がある。他の章での考察も興味深い。西谷は男性が女性性に傾きやすい日本では、男性の同性愛者の宣言が目立つのに対して、アメリカでは女性の側の宣言が目立つと指摘する。日本発の神学として知られた北森嘉蔵『神の痛みの神学』と日本的な情緒重視との関連も示唆されている。

西谷は「おわりに」において神社本庁公刊の英文冊子に見られる「神道信条」五箇条の訳文とコメントを記した。この重要事を詳論すれば一書をなすであろう。本書は新書判ながら日本文化論の信頼すべきレビューと独自の知見を展開した情報量の多い書物である。本書は日本人の心性を特色づける「母子の情愛」の基礎論というべきもので、その社会倫理的な影響の検討の公表を課題として残している。なお、日本人の心性には生命感覚が深く絡むゆえに、その観点を考慮に入れた考察を今後に望みたい。(なみき・こういち=国際基督教大学名誉教授・旧約聖書学)

 

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