聖書を一続きの物語として捕らえ、一貫する世界観を提示!〜正木牧人氏

201403大頭眞一著
聖書は物語る
一年12回で聖書を読む本 

正木牧人(まさき・まきと)氏(神戸ルーテル神学校校長)

 大頭眞一氏の「聖書は物語る:一年12回で聖書を読む本」はヨベル社から2013年11月に出版されたA5判一一二ページのハンディなペーパーバックである。ぱらぱらとめくってみると絵や図表が多い。読んでみると12の章立ても小見出しも明快で文章も非常に読みやすい。

 大頭氏はクリスチャンでない方を対象に希望者を公募して、牧師をつとめる明野キリスト教会で毎月一度土曜日の午前中に本書を用いて学びの会を主催しておられる。本書出版にあたって同会の参加者や教会の方々の意見を反映したとのこと、読みやすさに磨きがかかっている。

 本書の読みやすさは聖書を一続きの物語として捕らえ、一貫する世界観を提示していることにある。大頭氏はかつて英国留学に際して生涯の出会いを得た『神の物語』という書物を、著者のマイケル・ロダール氏と密接に連絡を取りながら十年がかりで和訳し2011年に出版している。これもお勧めしたい良書である。ロダール氏は聖書の記事の歴史的信憑性に確信を持ちつつも、神という主人公と人類史という筋を持つ神学的物語として聖書を読み解く。

 さて、大頭氏は橋爪・大澤両氏による『ふしぎなキリスト教』がベストセラーになったことに啓発されたという。日本人は一神教に躓き、ユダヤ民族の歴史に距離感を感じ、復活や奇蹟などに違和感を持つのに、聖書やキリスト教に興味はある。社会や生活の矛盾と苦しみに耐えながら心の絆、活躍の機会、自分の居場所を探す現代人が聖書に興味を持っている。

 ただし、何かに縛られてしまうことには警戒している。押しつけがましく神認識や罪認識を熱心に迫ると、人々はどこかへ避難をしてしまう。かといって福音の躓きを恐れて聖書を伝えるのをやめて単なる友達作りで伝道している気になっていると、教会は社交クラブになってしまう。

 その点、聖書の基本的教えを物語として教える大頭氏の学びの会の試みは興味深い。牧師として聖書の手引きを申し出ることで大頭氏は人々の信頼を得た。ただしく、また愛にあふれる人格神に出会う機会の少ない日本人には、カルチャーセンターではなく教会で、大学教授ではなく牧師が一般向けの学びの会を開催することの意義は大きい。

 学びの会のテキストとしての本書は資料の面でもアプローチの工夫の面でも絶大な価値をもっている。聖書の「神の物語」が整理されている。旧約聖書から天地創造、アダムとその妻、族長たち、出エジプトと十戒、王と神殿、預言者、メシア、詩と知恵文学と進み、第9回から新約聖書のキリストの誕生、十字架と復活、教会の誕生、終わりのことがらへと進む。

 また、日本人が陥りやすい科学的世界観との衝突を避けるための工夫もある。天地創造、キリストの復活、終わりのことのところなどでこの手法を駆使している。聖書は出来事がどう起こったかというHowを問わず、むしろ世界と人間の存在意味や目的などのWhyを取り扱っていることに注目する。

 あるユダヤ人向けヘブル語聖書の巻末特集に、新約聖書に成就した旧約聖書の預言の一覧表があった。本書7章にも来たるべきメシアの預言とその成就のリストがあり重宝する。

 「物語」は力である。「神と人とのガチンコの関係」と著者の言うように、神が人に向き合う聖書の「物語」は読者を巻き込む。主人公である神が読者である私たちに出会う。その中心は十字架と復活だ。キリストの十字架は人の罪を身代わりになって償い、罪による破れ、束縛、病いを和解、解放、治癒によって終わらせる。「物語」は人に復活の命を与える。

 本書の用い方を考えてみた。牧師が一般の人々に案内し教える。牧師が自分の学びのために用いる。神学校などの教材としては本書はちょうど1学期間で学べるよい長さだ。夫婦で学ぶ。高校生に教養として教える。大学生のサークルで学べる。教会学校の先生が聖書全体の流れを本書で把握するのもよい。

 『聖書は物語る』を手に取った方々が本書を用いて聖書の学びを深め、草の根運動のように様々なところで学びが始まったら、教会が、日本が、世界が、かわる。