山口勝政著 閉塞感からの脱却 日本宣教神学 評:宇田 進
現代の宣教課題に関する注目すべきガイドブック!
山口勝政著 閉塞感からの脱却 日本宣教神学
(A5判・二四八頁・定価一八九〇円〔税込〕・ヨベル)
評者は、本書の表題に登場する「閉塞感」という三文字を見て、 半なかば反射的に、かつてアメリカの『タイムズ』誌上(一九八九 年五月二十二号)で目にした一つの暗い記事を想起させられた。 それによると、アメリカの主流派を構成する次の教会は軒並み 教勢の急激な落ち込み0 0 0 0 0 0 0 に直面しつつあるということである! 合同キリスト 20 %、長老 25 %、聖公会 28 %、合同メソジスト 18 %、デサイプル 43 %減というきびしい状況が報告されていた。
実は、本書も、他国ではなく、まさにこの日本の教会の上に たれこめている類似した暗雲を率直に直視しようとしている。 と同時に、皆が願うそれからの脱出・脱却、そして〝一歩前進〟 のための着眼点と今後の掘り下げの道筋とを提示している。そ れは、よく神学教育の現場で目にする単に机上の論議だけに基づく呼びかけではない。それは、実に三十三年におよぶ地方(こ のたびの〝大震災〟の隣接地域)での伝道・牧会と、地道な〝宣 教学〟の掘り下げ(研修所も運営)の中から生まれたものである。
著者はまず大局的に、共同主体的に使命を担うというよりも、 自由な主観的選択を特色とする米国発信の「グローバル新自由 主義」の空気が、今の地方教会の〝閉塞状況〟を包んでいない だろうか、という問い掛けをもってペンを進める。具体的には、 地方における教会の閉鎖の現実と無牧化の状況、礼拝出席者の 減少、献金の減少、世界宣教における宣教師派遣力の衰退の現 実、そして信徒の霊的資質の劣化と根柢に見取れる信仰規準の 不透明状況、特に聖書観の後退と劣化0 0 0 0 0 0 0 0 0 のきびしい現実を〝発起点〟 として指摘する。考えてみると、こうした現実は、〝エキュメニ カ派〟、〝福音派〟(近年マスコミでは〝原理主義〟と表記される ことが多い)を問わず、今、日本の教会全体が直面しつつある 共通の問題・課題であると言えるのではないだろうか。
全体は三部・十五章で組み立てられている。第一部では、まず、 前述した足元の地方教会の危機的状況の分析、日本教会のミッ ションへの依存の状況と結果として生まれた階級的構造、それ を克服するための聖書のコイノニア(聖徒の交わり)論、そし て日本人の共通問題としての〝祖先崇拝〟に関する〝コンテク スチュアル〟(よく〝文化脈化〟と表現される)な取り組みを提 唱しながら日本における宣教論のいわばオリエンテーションを 提示している。 第二部では、基盤また原点とも言うべき宣教の聖書神学が 提示されている。著者はその原型としてパウロの〝アレオパ ゴス説教〟(使徒十七章)を解説する(第六章)。この点で、 第三部の第十一章「宣教の神学」を合わせて見ると有益であ る。七章では、宣教の〝原動力〟とも言うべき聖霊論が、そ して八章では〝規範〟とも言うべき聖書論が提示されてい る。現代の〝多元化〟の状況の中で、「宗教における信憑性の 危機」(バーガー)とか「規範喪失」(デュルケム)という指 摘の声が聞かれる中、著者は特に「聖書の無誤性へのコミッ トメント」の重要性を訴えている(八章)。この基盤が失われ る時に、宗教の主観化とともに、教会と宣教の衰退、人間主 義化、世俗化、そして倫理の崩壊などを招くと指摘している。 最終の第三部では、現代宣教学の領域とそこで取り組まれて いる重要な具体的課題とを九章から最終の十五章において論じ ている。近年注目を浴びている〝宣教学〟(Missiology)は宣教 の歴史、福音と文化、伝道と社会的責任、教会の構造とミッショ ン、福音と諸宗教、伝道と都市化、Power-Encounter、救いと 信仰のない人々の問題などを主要な課題としていることが明ら かにされている。そして、合わせて教会成長論、福音のコンテ クスチュアリゼーション、解放の神学、宗教多元主義などの問 題が適切に取り上げられている。
聖書が告げるキリストの福音は、いわゆる〝真空の状態〟の 中で宣べ伝えられるのではない。現実に置かれている時間・空 間の直ただなか中(コンテキスト)に生きる人々に届けられるものであ る現実を、今一度、ともに心に銘記したいものである。本書は、 まさにこの共通課題に関する注目すべきガイドブックと言える のではないだろうか。
評者:宇田 進(うだ・すすむ= 東京基督教大学名誉教授)