坂岡大路[著]閉ざされた信仰を哲学がひらく― 隣人と共に生きる対話篇

坂岡大路[著]閉ざされた信仰を哲学がひらく― 隣人と共に生きる対話篇

四六判・246 頁・1,500 円+ 税 
ISBN978-4-911054-88-8 C0016

『閉ざされた信仰を哲学がひらく』を推薦する 早稲田大学名誉教授/哲学者 竹田青嗣氏
 どんな人をも人間として認め、助けあい、愛しあい、他人への信頼や、行いの正義というものを信じて生きること、こうした生き方のうちにのみ、信仰の「ほんとう」があると私は考える、と。……「自由な思考」をもつ現代のキリスト者は、多数の教義の存在ゆえに、「ほんとうの信仰」がどこにあるのかについて、悩み、苦しまざるをえない。そして本書は、この問題に直面して苦しむ多くの信仰者たちに、哲学的な仕方で、この問題をどう考えるかについての一つの大きな指針を示している。

本書に寄せて 熊本大学大学院 教育学研究科 准教授 苫野一徳氏
 哲学入門書は数あれど、「信仰を持つ者にとって、哲学は大いに役に立つ」ことを、こんなにも体感させてくれる本はこれまでなかったのではないでしょうか。信仰や、信仰とともに生きる人生について真剣に考えている人たちにとって、本書は生き方の手すりを与えてくれるような本だと思います。

推薦文  竹田青嗣

本書に寄せて  苫野一徳

はじめに

第一部:「哲学」は信仰のジャマになるのか?

1 哲学は対話する
2 哲学とキリスト教の共通点は「異質な他者と
共に生きる」姿勢
3 イエスも哲学した
4 「信仰熱心」の落とし穴は「他者のエイリアン化」 
5 「信仰か知性か」という偽問題
6 聖書の言う「素直」とは「疑問を持たない」ことではない
7 「これは絶対の真理だから」という論法が隠蔽しているもの
8 「そもそも何のための秩序?」という本質的な
問いから目をそらさない
9 自己尊重と他者尊重
10 「真理」の本質とは?
11 「真理」をいったん、「私にとっての確信」だ
と考えてみよう
12 パウロは「ディアクリノー(批判的吟味)」を勧める

第二部:「信仰」って、いったい何なの?
    ― デカルト、カント、ニーチェと共に考える


1 デカルトは徹底的に疑う……でも何のため?
2 「権威による答えの強要」から「確かめ合いによる納得」へ
3 みんな、「私の神さまこそがほんとうの神さま」だと思っている
4 私たちはみんな「有限なメガネ」を通して世界を見ている
5 「世界の始まり」を哲学で考える
6 「真理」どうしの不毛なぶつかり合いが起こる理由
7 神の存在は証明できないが、信じる理由はある
8 カントが「神は存在しなければならない」と考えた理由

9 キリスト教VS ニーチェ
10 キリスト教道徳は「天国への逃避」?
11 キリスト教は「この世の生」を否定する?
12 信仰の立場からニーチェに反論する
13 ニーチェの「運命愛」とイエスの「御心のままに」

第三部:たくさんの「絶対的ほんとう」が並び立つ時、
それでも私たちは「共に生きる」ことができるのか?

― フッサール、アレント、ヘーゲルと共に考える

1 現象学は「意味と価値」の問題を解明する
2 「神」の存在意味を現象学で考える
3 「信仰は主観的な確信にすぎない」?
4 「隣人と共に生きる」ための哲学
5 「真理」 は「 絶対の正解」 とみなされ、「 普遍性」 は一
人一人の納得に支えられる
6 宗教と全体主義
7 信仰共同体が閉鎖的・独善的になることを防ぐには?
8 「自己満足」のままでは「ほんもの」になれない
9 「隣人なき信仰」に陥らないために   194
10 「主観を絶対化すること」と「主観性を自覚して引き
受けること」
11 「個人の自由」と「社会における共存」はいかにして両立可能か?
12 「ほんもの」の成立条件とは?
13 「恐ろしい他者」とどう向き合うか?
14 「べき論」はなぜ思想として弱いのか?
15 もしヘーゲルがカウンセラーだったら
16 「ほんもの」は「表現・批評のゲーム」から生まれてくる
17 信仰の質は「結ぶ実」で見分けよう

エピローグ 神さまと哲学する

おわりに

本文で言及しきれなかった文献一覧

事項索引/人名索引

坂岡大路(さかおか・おおじ))1988 年、京都生まれ。
北海道大学大学院教育学院臨床心理学講座修士課程修了。臨床心理士、公認心理師、教育学博士(北海道大学)。精神科病院勤務。本質学研究会、日本哲学プラクティス学会、宗教倫理学会、日本キリスト教教育学会、日本質的心理学会、日本人間性心理学会、日本認知・行動療法学会等の学術誌に論文掲載。企業、NGO、札幌市若者支援施設などで哲学カフェを主宰。