笑いと癒しの神学 長谷川正昭[著]
笑いと癒しの神学
東京教区城南グループ協力司祭
長谷川正昭[著]
四六判上製・448頁・2,800円+税
ISBN978-4-907486-84-6 C0016
書 評
〈機械仕掛けの神〉、〈作業仮説としての神〉 その後に来るのはいかなる神か?
〈宗教の時代〉は全く過ぎ去った。世界はいったい何処に向かうのか―。
この難題を前に、多神教的風土の日本にあって「笑いをキーワード」に、現代にキリスト教を問い、その活路を幅広く探求した意欲作!
主な目次
第一部 イエス・言葉・身体
第一章 笑いながら死ぬために
笑うイエス:〈自分を救えない神〉/辛辣でありながらユーモラス/イエスの自意識/自己言及性と笑い
言葉という思想:ボロを纏った王さま/復活物語の諧謔/心を燃え立たせる言葉
生と死の二重性:ボンヘッファーの実像/もてあそばれる自己/真摯な遊び/本当の自由とは
第二章 知のくみかえ
知の潮流:近代的理性の出自/日本語の特殊性/〈私〉のなかの他人
鷲と貝殻:五感の形成とその崩壊/聴覚から視覚へ/視覚の独走の時代
新しい視覚の理論:錯視と感覚麻痺/触覚にもとづく体性感覚
第三章 身体は笑いの器
身体論として考える:「器官なき身体」について/権力と笑い
笑いの諸説:機械的なこわばり/非知としての笑い/メタ認知とアハ体験/悟りのなかの笑い
第二部 神学という知の可能性
第四章 仏教とキリスト教の対話
禅キリスト教の可能性:超越神から内在神へ/「空の墓」は復活の根拠ではない/否定神学としてのグノーシス主義/禅病の克服/未来的キリスト教
神学者と仏教学者の邂逅:鈴木大拙の説/万法としての聖霊/受胎告知
第五章 自然神学は有効か
自然神学とは:二つの自然観/20世紀の神学論争/啓示とは何か/バルト神学への疑問
神義論の問い(ヨブ記とホロコースト):聖書の神義論の性格/ヨブ記の核心/フランクルのユーモア
第六章 悪の問題
堕天使:旧約と新約を分かつもの/〈人の子〉悪魔論/イエスは何から覚醒したのか
創造と悪:〈虚無的なもの〉/創造とは神の収縮
第三部 超越を超えて
第七章 根源語としての公案
第八章 神の愚かさは人よりも賢い
あとがき/参考文献
長谷川正昭(はせがわ・まさあき)1944年東京生まれ。立教大学文学部フランス文学科卒業。卒業論文はシモーヌ・ヴェイユ。 全寮制の聖公会神学院(3年課程)卒業。日本聖公会東京教区司祭に按手(叙任)される。 主教座聖堂聖アンデレ教会の副牧師を皮切りに神愛教会、東京聖マルチン教会、渋谷聖ミカエル教会、大森聖アグネス教会、東京聖三一教会、真光教会の牧師を歴任。2014年定年退職。その間、1975年より1年半、釜山教区蔚山教会にて開拓伝道に従事。2000年より2004年まで神戸教区松蔭女子学院大学チャプレンとして勤務。定年退職後は東京教区城南グループ協力司祭として非常勤の働きを続ける。
主な著書 『瞑想とキリスト教―牧師が試みた禅・タオ・密教の世界』(新教出版社、2007年)。